フィリピン狂いした男の半生

フィリピンパブとの出会い

転職

私は1990年(平成2年)頃からPパブ、俗にいうフィリピンパブへ通うようになりました。
通うようになったのは転職した事がきっかけでした。

私は以前、大手家電メーカーの販売店で営業の仕事をしていました。
そんな頃の給料はとても安かった記憶です。

そんな中、私はある外資系生保の営業職に誘われ転職しました。当時の私は33歳

さすが外資系とあって当初はとってもゴージャスなイメージだったと記憶しています。
そんな中、新しく入社祝いをして頂き歓迎会等を企画してもらい食事会の後、2次会ということで
フィリピンパブへ連れて行ってもらいました。

最初はあまり馴染めず面白くありませんでした。

33歳の時に新しく外資系生保に入社しました。当初は毎晩のように飲み会があり名古屋の錦3丁目の
居酒屋等へ行き2次会は決まってフィリピンパブ(名古屋錦の店)でした。

何故フィリピンパブなのかと自分なりに考えていたら外資系の会社ということでインターナショナル
なのだと勝手に判断していました。

外資系生保に入社する以前は飲みに行くとしたら日本人のキャバクラが主流でした。
値段を比較するとサービスの度合いも考慮したら圧倒的にフィリピンパブの方が安かった。
それでも半年間はあまり馴染めませんでした。社員同士の付き合いもあったので妥協していたのが
現状です。

初のフィリピン人女性(彼女)

それから約半年後、年末でした。いつものように仲間たち(社員同士)と行ったのですが何故かその時はある社員の知り合いがPパブを経営している名古屋栄4丁目の池田公園界隈に行きました。

そしてそこから私の人生は大きく転換期を迎えることに…

ある社員の知り合いのPパブで何と彼女(フィリピン女性)ができてしまったのです。

それから私は狂ったように毎晩その店に出没するようになったのです。
当時、私は名古屋市天白区のワンルームマンションで1人暮らしていました。(当時独身)

エスカレートした時は約1カ月間、会社へも出勤せずに彼女と2人部屋にこもりっきり、
夜になると彼女の店に同伴出勤、そして明け方までPパブで過ごす事が私の生活習慣でした。

当初、私が就職した外資系生保は完全歩合(フルコミッション)でしたので会社へは週2日
出勤義務付がありその他の時間は自由に営業活動できたのでそんな事が出来たのでしょう。

それでも私は週2日の出勤義務も怠り部屋で彼女とイチャイチャしてたのだから当然、上司
からはポケットベルがよく鳴ったりしていました(本当にバカでした)

以上のような経過をみれば皆さん察しはつくと思いますが、そんな生活をしていたのだから
営業成績は上がらず毎晩Pパブ通いがたたってか、とんでもない借金を作ることに…

その額、当初の私にすれば高額でした(約1,000万円~1,500万円)だったと記憶しています。

当時の外資系生保には私みたいな人間が何人もいました
横綱、大関、関脇の格付けしたら私はまだ関脇程度の位でした(笑)

私が外資系生保に入社した当初、年収が1億円プレーヤーも存在しました。
年収1,000万円以下はゴミ扱い(私もゴミ扱い)

当初の外資系生保は非現実的な毎日の連続。確かに稼ぐ人も大勢いましたが錯覚して大失敗する人も何人かいました(反省)

人生のどん底

借金返済に自転車操業

フィリピンパブ通いで作った借金返済のため一生懸命に仕事をするがなかなか軌道にのれない。
毎月の借金支払いはクレジットカードでキャッシング連発、正に自転車操業でした。

ある時はクレジットカード限度額満額になり消費者金融に駆け込んだりしていました。
7階建ての消費者金融ビル(俗にいうサラ金ビル)の7階から順番に下り各階でツマみ(借金する)
1階まで降りて計300万円くらい1日で借金をした事があります(当然、高金利)

1日で借りきった理由は日にちが経過するとデータに登録され限度額オーバーで借りられなくなるからである

そんな訳で借金が雪だるま式に…

借金返済にパチンコ勝負

パチンコ狂奏曲

そんな中ある日、名古屋で一番出玉が多いと定評のあったパチンコ店(上飯田のパチンコ店)へ時間つぶしで入店したら何とかかってしまい連チャンがとまらず大儲け、その時の台は「黄門ちゃま」

そして数万円手にすることができました。

そんなことが数回つづきました。

それから私は昼間はパチンコ、夜はフィリピンパブで豪遊していました。
借金返済日は色々駆け回り何とか借金してペダルをこいでいました。

ある夏、私は毎日パチンコ店へ出稼ぎ(それでも週2日の会社出勤はこなしていました)
そして1か月で何と収支100万円の利益を記録。その時のパチンコ台はアレンジマン

そんな幸運がいつまで続くのかしら

ご察しの通りいつまでも続きません。

それから翌月から半年間で約300万円くらいスりました。
振り返るとアホ丸出し、よく続いたと思っています。

パチンコ依存症の恐怖
  1. とにかく毎晩、夢にでてくるスーパーリーチ。その快感を味わうために毎日オープン前に店の前に並ぶ始末(それだけ出玉が多い人気店でした)
  2. 毎日、通うことにより台の性質がわかり確変の確立が高まった(それでも勝てない)
  3. 毎日、通うことによりパチンコ仲間が増え店内が交流の場となった
  4. 結果、足を洗うのに10年以上かかった

結局、借金で首が回らなくなり実家に逃避。

おかげで毎月の家賃が浮く形となり少し楽になった。
実家に帰ってから半年後に母親が他界(自転車で転倒)

そして私が母親に掛けていた生命保険金が転がり込んだ。
そのお金を借金返済にあて精神的に少し落ち着いた。
自ずと仕事も軌道に乗り始め何とか自転車操業を逃れるくらいまで回復した。

30代後半で結婚、遅咲き人生

今現在の嫁(日本人)と知りあい結婚。最初のうちは仕事も順調で調子よかった。

嫁が妊娠中また悪い虫が騒ぎ出し一時控えていたフィリピンパブ通いがまた始まり平行して
パチンコ道楽も始まってしまった。

また嫁も金遣いの激しい性格だったため徐々に借金も増えていった(懲りない面々)

結婚当初は名古屋市の高級住宅街(東区主税町)の高額な家賃のマンションに住みそれからまた借金が膨らんでいった。

そして間もなく昔のように自転車操業が始まろうとしていた。

そんな矢先に父親が他界

そんな頃、別居していた父親が風邪をこじらせ肺炎になり、まもなくして他界してしまった。
その時、私の年齢は43歳。

不思議なめぐりあわせで母親の時と同じように生命保険金が転がり込んだ。

あんな時代は保険契約のノルマ等があり身内を加入させて売り上げを作ることが
しばしばありました

また不幸中にもかかわらず思わぬお金が入ってきたので借金を返済し高額なマンションも引き払い
空き家になった実家へ移り住むことになった。
但し家族は同意しなく私たちは別居生活をすることに…(約16年間)

しかしそんな頃から私の人生は好転するようになりました

当然、二重生活 生活は苦しかったが…

そんな頃は子供2人と嫁を養うのに相当お金がかかった。ましてや2重生活。
嫁は自身の母親の仕事を手伝っていたが利益はトントン状態。

私が家族の生活費を仕送り私自身の生活も1人ですべてこなしていた。
そして生活も地味に過ごし何とか凌いでいました。

さすが昔のように借金生活はしなくなっていました

独立の話

そんな時、思わぬ話が舞い込んできました。友人の紹介である保険会社からの誘い。
それは保険営業マンとしてではなく保険代理店を立ち上げ独立しないかという誘いでした。

話をよく聞いてみると現在の仕事(外資系生保)と同じ売り上げを確保したら手数料は何と2倍近く頂けるという話でした。考えてみれば独立する訳なので保険会社にしてみれば福利厚生費等は一切
負担がないので当然といえば当然。

しかし私にとっては目からウロコが飛び出る話でした。

そして思い切って12年間勤めた外資系生保会社を退職し独立しました。

その時に諸問題が発生
  1. 毎日の生活がカツカツで預貯金等は0だった
  2. 私が12年間で築き上げた顧客数約300名程を引き連れての独立は認められなかった。
    (理由は過去2年間の営業成績が低迷していたから)
  3. 顧客0からの再スタートとなってしまった
  4. 退職金が予想以上に少なかった(12年も務めて百数十万円くらいでした)

結果、約3か月分の生活費に該当する退職金を手に死に物狂いで働きました。

正直その時、私は一家離散を覚悟していました。

そんなプレッシャーの中でも神様は存在した

ある友人から大口の法人契約の紹介が舞い込み急場を凌ぐことができた(本当に友人には感謝している)

それからコツコツと契約を積み上げスタッフ15名くらいまで成長し株式会社の設立となりました。

今思えばあの時が私の人生の分かれ目だったと自負しています。

忘れられないフィリピン

会社は軌道に乗りかけた所で、また昔の悪友とつるみPパブ通いが始まった。
フィリピンとかかわるようになってから15年後(2005年5月)

今でも鮮明に覚えているが初めてフィリピンへ渡航したのがきっかけで私の胸に火がついてしまったのである。その時の案内人は皆さんご存じの市川先輩です。

それから現在に至る…

近年は新型コロナの影響で渡航していませんが以前は年3回ペースで渡航していました。
滞在期間は10日から20日間程度

過去を振り返って
思えばフィリピンという国や人間とかかわるようになって31年経過した現在。
たくさんの脱落していった日本人を見てきました。保険会社の同僚の中には家を売却して一家離散になった人間もいます。不思議なものであの国はそこまで人々を魅了してしまう何かが存在する。よく世間からP中と言われますが本当にその通りです。
物事にハマりやすい人は要注意(警告)